快感とか不快感は何科が自分に与えてくるものだと私たちは思い込んでいるけれども
実際には自分の考え方が動かしているものなのだ
例えば何かした後で私たちはしなかったらうまくいったのにと不快感を覚える
逆にこうやったから結果が最上になったと快感を覚える。
こういう風に思えるのは自分はやり方についてどちらの選択もできたと考えているからだ。
つまり自分にはいつもどちらも選べる自由があるという前提から生まれた考えなのだ。
自分には選択の自由があったというその考えさえなければ、こうなったという現場に対して
快感も不快感も生まれるスキはないのではないだろうか。
漂泊者とその影 より