Categories: 喜について

楽しんで学ぶ

 

たとえば、外国語を学んでまだ少ししか離せない人は、すでに外国語に通じて流暢な人よりも、

外国語を話す機会をとても嬉しがるものだ。

こういうふうに楽しみというのは、いつも半可通の人の手にある。

外国語に限らず、やり始めた趣味は、いつも楽しくて仕方ないものだ。

けれども、そうであるからこそ、人は学ぶことができる。

つまり、大人であっても遊ぶ楽しさを通じて何かの達人になっていくのだ。

「人間的な、あまりにも人間的な」より

tottosapo

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