物事はいかようにも解釈ができる。
よい物事、悪い物事が初めからあるのではない。
よいとするのも悪いとするのも、役立つとか役に立たないとか、
素晴らしいとか醜悪だとか、いかようであろうとも、解釈するのは結局は自分自身なのだ。
しかし、どう解釈しようとも、そのときからその解釈の中に
自分を差し込むことになるのを知っておこう。
つまり解釈にとらわれ、その解釈ができるような視点からのみ、物事を見てしまうようになるのだ。
つまり、解釈やそこから生まれる価値判断が自分をきつく縛るというわけだ。
しかし解釈せずに物事の始末はつけられない。ここに人生を読み解いていくことのジレンマがある。
「たわむれ、たばかり、意趣ばらし」